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こんにちは。紺碧です。

人にはそれぞれ自分だけの習慣があると思います。

自分の中で「~な気分のときは〇〇をしよう」というルーティンというか、自分ルールというか・・・

もちろん僕にもそういった習慣はあります。今回、その習慣についてメモしておこうと思います。その習慣とは・・・


「物事が煮詰まったときは夜道を一人で歩く」


です!大学の課題や人間関係、その他もろもろ。煮詰まったり、悩んだときは夕飯を食べてから一人で夜道を歩くようにしています。というか歩きたくなります。

夜道を歩いて何をするかというとたいてい近く(歩いて2、30分)の本屋に行って立ち読みをして帰る。ただそれだけです。ただそれだけなのですが、こうすることで大抵の(頭を悩ます原因である)物事は少しはましになっていく”気がします”。その感覚は固く絡まった結び目が少しほどけるような感覚に近いです。


これができなくなると非常につらい。室内でこもって考えるよりも外の空気を吸いながら、歩きながら、つぶやきながら考えるほうが自分の性に合ってるというか、いい案が思いつく気がするんですよね。あくまで個人的な感想に過ぎないのですが・・・






余談

散歩ルートにしている本屋がつぶれると聞いて非常にショック・・・昔から愛用している本屋なのでなくなると寂しい・・・。

余談2

夜道の散歩に付き合ってくれる異性がほしいと思ったのはここだけの話。

こんにちは。紺碧です。

 私は大学の授業で使われた教材データや作成したレポートは全てPC上に保存しています。

先日、これらのデータの管理で手痛い失敗をしたので記録をかねて書き留めておきます。

 去年の年末、年内の授業がまもなく終了しようとしたときに問題は起こりました。

授業で自分のPCの電源を入れると


「No Boot Device Available(起動デバイスがありません)」


というメッセージ表示され、正常にパソコンが起動できなくなっていました。

メーカーのサポートに問い合わせたところ、ハードドライブが本体に認識されていないため、修理対応となります。とのことでした。

修理内容はメインボードの交換と、LCDの交換で約1カ月で帰ってきました。無事、修理が終わって一安心だったのですが...案の定...


「データもキレイサッパリ消えてるっ!!」


保存してあった教材データやレポートのデータはもちろん本体のみでの保存だったため、全て消えていました。あちゃー...



ここから得られた教訓としては「データはクラウドで管理する」というところでしょうか。対価があまりにも大きすぎるような気もしますが...








情報メディア問題入門の講義を受けるまでのいきさつと受けた感想について述べていきたいと思います。

まず、この講義を受講した経緯について述べていきたいと思います。私は2年生の前期に受講した情報処理の基礎やマルチメディア表現と技術、情報システムなど情報メディア関連の授業がきっかけでこの講義を受ける前から情報メディアに関わる領域に興味を持っていました。そのためこの講義を受講しようと思いました。

次に、講義を受けた感想についての感想や考えたことについて述べていきます。

「クラウドリテラシー」の講義を聞いた後、私にクラウドサービスについて考える機会が訪れました。

その機会とはEvernoteのプライバシーポリシーの改定に関わる一連の騒動です。Evernoteとはクラウドサービスの一種でアプリケーション上に文章や写真、音声データを作成し、クラウド上で管理できるサービスです。様々なデバイスから同じコンテンツを作成、管理できるため、非常に便利なサービスで私も好んで使っているクラウドサービスのひとつです。そのEvernoteが昨年の12月にプライバシーポリシーの改定を発表し、その内容が物議をかもしました。その内容は一部の社員がユーザーのコンテンツを閲覧可能になるとのことでした。その目的はEvernoteの機械学習システムが正常に働いているかを確認するためとのことでした。これに対してユーザーの批判が殺到したため、しばらくしてからEvernoteから謝罪があり、このプライバシーポリシーの変更は取り消されました。私は管理する立場がサービスを管理するためであるならユーザーのコンテンツの閲覧は致し方ないのではないかと考えてしまいます。Evernoteのプライバシーポリシー「データ保護の3原則」にユーザーのコンテンツの著作権はユーザーに帰結する物でありEvernoteがユーザーのデータでビジネスは行うことはないと明言している以上、Evernoteを信じるしかないと思うのです。

私はこの騒動を通してクラウドサービスは作成したコンテンツの保存先が自分の管理下ではないということを改めて実感しました。私たちは自分のデバイスを通してクラウドサービスを利用しているので、クラウドの空間があたかも自分の物のような錯覚を覚えてしまいます。しかし、あくまで私たちが所有している権利はサーバーの利用権に過ぎず、ユーザーのデータを管理しているのはサービスを提供する企業側です。

したがって、クラウドサービスを利用する時、ユーザーは自分のデータがどのように扱われるかを確認し、その上でサービス利用するか否かを選択するまさしく「クラウドリテラシー」が必要になったのではないかと思います。

次に「情報デザイン」の講義を受けて考えたことについて述べていきたいと思います。

たくさんある情報はキュレーションによって選択し、情報デザインを経て提示されます。私は情報デザインとユーザーインターフェースは切っても切り離せない関係にあると思いました。雑多な情報を適切な方法で図示したり伝えたり共有することによってできた成果物はユーザーの使用を意識したものでなくてはいけないと思います。たとえばたくさんの図書という情報を保管している図書館では図書のジャンルによって番号が振り分けられて管理されています。もし、図書館がカテゴリではなく図書のタイトルを50音順で管理していた場合、目的の図書にアクセスすることが非常に困難でしょう。

ユーザーインターフェースも同じくユーザーの使用を意識して作られなくてはなりません。従ってユーザーインターフェースも情報デザインも目指すところは変わらないと思いました。情報デザインとユーザーインターフェースを分けているのは情報デザインが手法であり、ユーザーインターフェースは成果であると私は考えています。良いユーザーインターフェースにするために情報デザインを駆使するのではないかと思います。

最後に、将来の自分のあるべき姿について述べていきます。

現在、私たちの身の回りではたくさんの情報が溢れています。その膨大さゆえに私たちはもうそれらを網羅することは不可能となっています。また、情報を発信するハードルが下がることで発信される情報の質にバラツキが生じていると私は考えています。それ故に私たちは数ある情報から必要な情報を適切に選び取る能力が求められています。さらに、ウェブ2.0の台頭やスマートフォンの普及によって私たちが情報を発信する機会が増えています。そのため私たちは今まで以上に発信する情報に責任を持たなくてはならないと考えています。雑多な情報の中から適切な方法で必要な情報を選択し、発信する能力のことを指すメディアリテラシーという言葉ありますが、求められるメディアリテラシーのレベルが日々高まっています。さらに、メディアリテラシーは時代に合わせて改変していく必要があると私は考えています。私はそれをメディアリテラシーN.0と名付けてこれからも高めていきたいと思います。

良いユーザーインターフェイスの1つとして私はApple社の「iPod shuffle」を挙げたい。なお、ここではiTunesなどのサービスは含まずiPod shuffle 本体にのみ焦点を当てて述べていく。

iPod shuffle(以下シャッフル)はAppleから発売されている音楽プレーヤーの1つである。特徴として液晶が無いため、全て物理ボタンで操作し、その補助としてプレイリストやアーティスト名、楽曲名を読み上げるVoice Over機能が備わっている。アルマイト処理で色付けされたアルミ製の小さな筐体にはクリップが付いており、洋服に挟むことが出来る。iPod シリーズの中で最も小さく、軽量でメモリーの容量は2GB(第4世代〜)と音楽プレーヤーの中でもかなり少ない。

大容量メモリーによって沢山の音楽を持ち歩くことができ、聴く音楽を液晶で選ぶことに慣れている私たちにとって一見、このデバイスは物足りなく、使いづらいものと思うだろう。仮にそうで無くともわざわざ液晶の付いていない音楽プレーヤーを買おうと思う人も少ないだろう。しかし、使ってみると非常に使いやすいユーザーインターフェイスを持つデバイスだということがわかる。そのことについてこれからいくつか詳しく述べていきたい。

まず、「本体を見ること無く素早く希望の楽曲へアクセス出来る」ことが挙げられる。最初に基本的な操作さえ覚えさえすれば、本体を見ずに比較的早く目的の楽曲にアクセスすることが出来る。このことにより例えば、寝る前にプレーヤーで音楽を聴くとき、iPod shuffle は液晶がないため、楽曲選択の度にわざわざ目を開けて眩しい液晶を見る必要がない。また、ランニングの際も本体を見ずに操作が可能なため、前に注意をそらさず楽曲選択が出来る。

また、iPod shuffle は入れることの出来る楽曲数が他のプレーヤーに比べて少ないことも早く目的の楽曲にアクセス出来る手助けとなっている。

以上の点からiPod shuffle は液晶と大容量と引き換えに楽曲選択のアクセスの素早さと簡潔な操作性を手にしていることがわかる。iPod shuffleは普段から音楽を高音質で大量に持ち歩くととに対してこだわりを持つ人にとっては非常に力不足だと思われる。ただ、それ以外の人たちには使いやすいデバイスだと思う。従って、私はiPod shuffleは良いユーザーインターフェイスの一例であると考えている。

制作者:マックス・エルンスト

材質、技法、形状:油彩、カンヴァス

制作年:1927

所蔵場所:国立西洋美術館

私が取り上げる作品はマックス・エルンストの「石化した森」である。今回はこの作品について述べていきたい。

制作者のマックス・エルンストはドイツ出身のシュルレアリスムを代表する画家の一人である。

この作品は第二次世界大戦の前に制作された物である。油彩で描かれており、木々の幹には絵の具を数層に重ねて塗ったカンヴァスを質感を移したい素材の上にのせ、何かで絵の具を削ることで下に塗った絵の具を浮かび上がらせる「グラッタージュ」という技法が多用されている。

彼は森を好んで主題として扱った。この「石化した森」も森を主題としており、鬱蒼とした森から太陽が透けて見えるイメージは得体の知れない不安を呼び起こす。

解説のなかに彼が持つ森のイメージが書かれていた。そこには 「父に連れられて現実の森の中にはいったときの魅力と恐ろしさはいつまでも忘れられなかった。広大な空間の中でゆったりと呼吸することの素晴らしい喜び。それとともにある、木々の檻の中に閉じ込められているという苦悩の感覚。自由であり、囚われてもいる」と書かれていた。

私がこの作品を見たとき、私は暗闇に包まれた森に月明かりが差し込むような夜の森を表現していると思った。しかし、解説を見てみると私が月だと思っていた物が太陽であると言うことに気がついた。改めて見直してみると、太陽の外側に光冠が確認できた。

私も森に入ると癒やされるのと同時に恐怖を覚える。なぜなら、森では人も一匹の動物に過ぎず、森の前では基本、人間は無力である。それ故私は森に入ると一抹の不安を覚える。彼は森だけではなくこのような深層心理を絵の中に取り込み、本来の森をデフォルメして表現したのではないかと私は考えている。